人の悩みはなぜつきないのでしょうか?
それは過去の記憶にとらわれるからです。
本来、時間をさかのぼることはできません。
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過去は存在しません、過去は脳の中に記憶
過去は存在しません、単に脳の中に記憶としてあるだけです。
過去にとらわれるということは、実際に過去は存在しませんから、「過去の記憶」にとらわれるということです。
「過去の記憶」にとらわれると、心が疲弊することはもちろんですが、運動能力にも支障をきたします。
過去の体験での「やり方」「方法」などの形は自分で自分を縛ってしまい、臨機応変な動作を鈍くしてしまいます。
ビジネス、スポーツや日常生活などのすべては、二度と繰り返さない現象の積み重ねですから、過去に覚えたパターンは通用しません。
常に期待感を持って「どうなるんだろう」「やってみないとわからない」といった未知感が大切です。
本当にやってみないとわからないのです。
勝ち負けで言えば、おおざっぱにいえば勝つ確率・負ける確率はありますが細かく言えば、どう勝つか、勝った後どうなるか未来は揺らいでいます。
勝ったことで禍になるかもしれませんし、負けたことで幸いになるかもしれません。
未知なる探検が感覚を開く
仮に洞窟を探検するとしましょう?
初めて行く未知なる洞窟であれば「わくわく感」もさることながら「何が起きるかわからない」という思いが体全体の感覚を呼び覚まし、わずかな音や空気の流れを感知することでしょう。
この状態が「感覚が開いた」状態で誰でも感覚の天才状態です。
このときであれば、
よくテレビでやっていますが、ヴァイオリンの「ストラディヴァリウス」と「練習用」との聞き分けも100%可能でしょう。
感覚が開いている状態の時の動きは尋常ではありません。まさに天才的です。
「日常のあたりまえ」が感覚を閉ざす
何度も何度も言ったことのある洞窟を探検するとしましょう。
もはや探検とは呼べないかもしれません。
へたをするとノルマ?
もうどこに何があってどうなっているのかが「記憶」にありますから道筋も全て「記憶」を探り、実際の道はほとんど見ていません。
まさに感覚の閉じた状態で、もし仮に違っているところがあってもほとんど気づきません。
いつもの道なのに「記憶」が邪魔をしていて、むしろ転びやすい、ぶつかりやすい状態といえます。
トリックも犯人も知っている何度も見たミステリー番組を見ている状態です。
過去の記憶をなぞった結果、感覚がマヒし鈍い状態になります。
ビジネスではマニュアル人間といわれる状態です
スポーツでも二度同じシチュエーションは在りませんよね。
野球のピッチャーの球は無限の軌道を無限に変化する速度でやってきます。
サッカーでもテニスでも同じ軌道の球はありえません。
遊びでも、同じ場面は2 度とありません。
たとえ同じ相手でも全く同じことは起きません。
にも関わらず、もしパターンで動作を記憶しその記憶に基づいて動くことが主であったら、たちまちやられてしまいます。
記憶をなぞれば最高に鈍い状態ですので、相手の変化に対応できないのです。
よくある妻の変化(髪型など)に夫が気づかないなどもその一例でしょう。
「未来へのわくわく感」が才能を開く
諸行無常の言葉にあるように実際に全く同じ未来はあり得ないのですね。
ましてや人間関係は千変万化しますから、過去の記憶を探っていたらアウトです。
過去の記憶を主とせず、参考程度に時折活用するにとどめ、日頃は不確定な未来にわくわくして過ごす。
日常を同じものの繰り返しとはとらえず、実際変化しているわけですから、その変化をとらえられる開いた感覚。
「どうなるかみてみたい」という不確定な未来へのわくわく感が人間の成長に大切と思っています。
この本来の在りように導ける日常こそ大切と思います。
仏教的にいえば、些末なことに感謝するありようです。
そのためには「自然のゆらぎ」を取り戻す必要があります。
この「自然のゆらぎ」を取り戻し方に関してはまた次回以降期します。
ご期待おください。
この記事の執筆者
東京在住-武道歴40年(現極真空手五段師範)
(株)AZUMAのホームページ制作に関わって10年。空手・古武術・合気道・総合格闘技などジャンルを超えて身体動作を追求。空手道場を30年以上続けてる一方で、幼年からシニア(80歳以上含む)幅広い年齢層に対して道場、学校、体操教室などでの指導経験をもつ。年齢に関係なく正しい動作改善により健康(腰痛、膝痛など)・パフォーマンスが劇的に変わることを教える。