会話ではなく対話をすれば健やかな人間関係ができる

今回は、言葉は似ていますが、会話と対話の違いについて解説したいと思います。
ここでは国語的な意味ではなく、人生に必要なあり方として解説しています。

会話と対話の違い

様々な解釈もあるでしょうが、私は「意味」の共有の違いと教えています。
単に言葉のやりとりをする「会話」に比較して、互いを尊重し言葉の意味を共有することで「対話」となります。

一見同じ日本語を使っていても意味は人それぞれのため、コミュニケーションしているわりにはすれ違うことはよくあります。
それは互いのやりとりが会話にとどまり意味が共有されていない場合が多いのです。
とくに子供の成長期にこの対話が欠かせません。会話すらないのは論外ですが、家族も比較的円満でよく話をしているのに子供の精神的成長が十分になされないケースを見受けます。
その場合、親子での本質的な対話がなされていない可能性が高いと思われます。

「宿題やったの」「食事の時間よ」「早く寝なさい」などの生活的な会話をいくら交わしても成長に必要な対話にはなりません。
「場」の共有と「意味」の共有は違います。

相手の話を片耳で聞かず、必ず両耳で聞く姿勢が大切で、特に胸に響かせることが必要です。
相手の言葉自体を聞くのではなく言葉の意味を受け止める姿勢が大切なためです。
対話のできる人は人間関係がすぐれているにとどまらず、不思議に思われるでしょうが各種仕事においてもすぐれた技術を駆使できます。

武術での疑似的検証をしてみましょう

武術は「見えない心」をその技を通じて「見える身体」で検証できるすぐれた点をもっています。
したがいまして、会話と対話の違いを擬似的に武術で検証することができます。
「会話」は相手との意味を共有しませんから、相手に対して”自分本位に一方的に技をかけるさま”に置き換えることができます。
「対話」は意味を共有しますから、一方的に技をかけるのではなく”相手と繋がり同調するさま”に置き換えられます。

■自分本位で一方的な技(会話)
特に、初心者など未熟な人の場合、相手の事を考えずに自分本意に技を力一杯繰り出します。
これがまさに互いの意味を共有しない「会話」の状態といえます。
一生懸命汗だくになりながら行っても全く技は決まりません。
相手を倒そうとしても倒せず、投げようとしても投げられず、息だけが荒くなります。
意味を共有しない会話では相手に対して本人の思惑とは裏腹に、ほとんど影響していないことがわかります。

■相手との一体化(対話)
武術の極意は相手との一体化(同調)にあります。相手をどうこうしようという思惑は捨て、相手と接触したら、きらずに繋がっていきます。
そして接触した部分から相手の中心軸(身体)と一体化します。まさに相手の本当に言いたい中心的意味(心)を捉えて一体化(同調)する「対話」と同じ状態です。

武道経験の無い方はイメージしにくいかもしれませんが、一体化を通して相手は簡単に無力化され封じられてしまいます。
武道では力ではなく一体化を通じてこちらの技が相手に及ぶことを体感することができます。

すなわち対話を通じて相手と一体化することにより、はじめてこちらの言葉が相手におよぶことがわかります。
対話をしないかぎり真のコミュニケーションにはならず発展できません。

互いを尊重し節度ある対話のできる人々の集まりは健やかです。
その為にも努めて「会話」以上に多くの「対話」がなされる事を願ってやみません。

 

   

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